なかなか、「ウィキッド」初観劇のレポートがまとまりません。
書きたいことがたくさんありすぎるのです。
外堀から埋めていこうかな。
7月4日「ゲド戦記」のDVD発売に合わせて、今、糸井重里の「ほぼ日刊糸井新聞」から「ゲドを読む。」という文庫型フリーペーパーが出ています。
大き目の書店で、「ください」というともらえます。
置いておくのではなくて、手渡し、なのだそうです。
翻訳者の清水真砂子さんインタビュー、臨床心理家の河合隼男さんと監督の宮崎吾朗さんの対談をはじめ、「本当にこれがただでいいの?」といいたくなるような充実した内容なので、「ゲド戦記」を読んだことがある方(映画は観てなくてもね、私のように)には絶対おすすめ!です。
このフリー文庫の冒頭は、文化人類学者の中沢新一さんの「ゲド戦記の楽しみ方」で、この内容が、「ウィキッド」のテーマのいくつかと比較すると面白いです。
ただし、メインのテーマである「女性同士の友情」についてはほとんど触れられていませんが。
私が面白い、と感じた点は2つ。
ひとつは「力とはいかに使うべきか」。
「ウィキッド」では世俗の支配権力はオズの魔法使い、マダム・モリブルであり、魔術師はエルファバで、この2つは最後まで相容れません。
しかし、物語の最後で、オズの魔法使いに代わって新しい為政者となったグリンダは、エルファバから魔法の書を託されてもいます。
グリンダには魔力はなく魔法の書も「私には読めないのよ、知っているでしょう?」と言いますが、エルファバは「じゃあ、勉強しなくちゃね。あなたならできるわ。」と言います。
オズの魔法使いは、悪人ではなかったと思いますが、現実=オズの国の中の不平・不満に対処するために、共通の仮想的を作る、という手段をとりました。
グリンダが舞台で選択した「現実への対処」と彼女が今後どうなるのか、「ゲド戦記を楽しむ」を読むといろいろ考えさせられます。
もうひとつは、「MとW」、これは、日本語の「魔法」に対応する言葉としてMagicとWizardry&Witchcraftがあって、ウィキッドはもちろん、後者です。
MasicはMiracleにつならる、キリスト教的世界観の中での「人知を超えるチカラ」ですね。Catsのマジシャン猫ミストフェリーズは"Masical Mr.Mistofelees"で、これはCatsがキリスト教の「救済」をテーマにした作品なので当然だと思います。
Wizardry&Witchcraftは中世の魔女狩り以降はヨーロッパ、アメリカでは(アメリカでもせーラムの魔女狩り、という事件があります)では良いイメージがありません。異教的なチカラとされています。
「ゲド戦記」では、第3巻まではこのWizardryも男性だけの世界として描かれ、第4巻で女性の力=自然の力がクローズアップされますが、「ウィキッド」では最初から主人公が強く生き抜く女性です。
1970年代に第1巻が書かれた「ゲド戦記」と21世紀(とくに911以降)の「ウィキッド」の時代背景の違いだと思います。